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根元を探る。答えは、まだ見つからない。

退院後、自宅療養という猶予期間で、ぐるぐると考えた。


どうして、こうなってしまったんだろう。


とりあえず出てきた答えのひとつとして、まずは、育児で溜まるストレスの根本的な原因は「自分のペースで動くことができない」からなのではないか。まずはそう考えた。


でも足りない。そんな、そのへんに転がっているような簡単な理由だけじゃない。それだけでは説明がつかない。それだけなら誰だって同じ、みんな同じだ。


ふとおもったのは、自分の父親はどうだったか。


父は暴力的だった。酒は飲まない。昭和の時代ならどこの家でも多かれ少なかれあった「折檻」的な引っぱたきぶっ叩き蹴っ飛ばし踏みつけ等々。仕事のストレスか。脱サラして本腰を入れていた株取引の損失の苛立ちか。パチンコで負けた腹いせか。


第一子だった5つ上の兄貴は僕以上にひどくやられた。兄も、もともとの性格もあっただろう。身体が大きくなると今度は逆によく両親をぶん殴っていたらしい(僕らはそれぞれ別居してしまっていたから詳しく見ていない)。


やかんやら炊飯器やらのボコボコや、戸棚にフォークと思しきガリガリ傷が増えていき、勉強が苦手な兄の苦しみが見てとれた。ときどき両親の顔が無惨に腫れていた。子供ながらに、真面目に勉強して、難関大学に進学して、ちゃんとした先に就職しよう、この環境から脱出しようと思った。どうせなら「金属バット事件」の世界がよかったとさえ思っていた。


兄は生まれた時代が悪かった。受験戦争、就職氷河期ど真ん中で、煽りを受けて、もうずっと定職につかず両親と暮らしている。まさに今、社会問題になっているやつだ。


79年生まれの自分はどうだろう。校内暴力や受験戦争は死語だった。大学入試で倍率10倍なんていうのは、流行りだった心理学系統くらいだったと思う。だからまだマシなほうか。


僕ら兄弟は正しい愛され方?慈しまれ方?育てられ方がよその家とちょっと違ってしまって、自分が親になった今、子供を可愛がる感情が持てないということだろうか?そうか、自分が今、子供をかわいいと思えないのは幼少期に受けた親父の暴力のせいか。僕らをかわいいと思っていながら暴力を振るっていたとは考えづらい。


人のせいにしてしまうと、本当に楽だ。自分はちっとも悪くない、そう思うと本当に楽だ。ただし、娘にとっては全く関係のない話ではある。実父には一度も娘を会わせていないし、これからもその気はない(父も関心がない素振りだとは聞いている)。娘がもう少し大きくなって「会ってみたい」と言ったらどうするかは、まだ決めていない。