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出張がなくなったのも関係していると考えた

倒れる半年前に、出張のない部署に異動したのもストレスの遠因だったと思う。ぬるま湯から熱い湯に浸かろうとしたら、足を滑らせて火傷した感がある。



それまでの部署は月に1回の頻度で国内出張(=一人になれる自由な時間)があった。仕事はひと言でいえば工場監査。NHK探検バクモンのような工場見学。あれを厳しく訪問する。それを理由に業務時間中、工場設備に関連するYouTubeをデスクで眺め続けていた(もしかすると、ヒマだったと言ってもいいかもしれない)。


設備機器の動作の様子を知っていることは製造現場での実査で非常に役に立つ。これによって、経験の浅い人間でも工場の説明に矛盾を見つけ、徹底的に突けるようになる。さもないと品質問題を隠蔽されてしまう。殺菌不足で微生物汚染された食品が出回り、賞味期限前に店頭や一般家庭の冷蔵庫内で腐敗するとか、油断すると簡単に起きてしまう。


言い逃れする工場の首根っこを抑えて、ともに真実を追究する。山積みの点検記録に目を通して製造工程を確認する。ヒリヒリする現場感。一歩間違えればニュース沙汰。やり甲斐というか、仕事をしている実感があった。


そして出張スケジュールをやりくりしてローカル線を満喫する。鉄道ファンではないが、無人駅や難読駅での途中下車、宿まで畑道を一駅歩くのも楽しかった。僻地を一人旅。バブル世代の武勇伝に比べるべくもないが、こぢんまりと楽しかった。出張の帰りにはガンプラを買って新幹線で作ったりしていた。異動前の部署で思い出せるのは残念ながらこれくらいだ。あとは根回しが上手くなったくらいか(それはそれでとても重要ではあるが)。自由だった。


ただ、年齢的にものんびりするのはまだ早いのではないか、という焦りが出てきて、そのときずっと憧れていたチームで社内公募がアナウンスされて、手を上げた。その日のうちにフォーマットと、ずっと書き溜めていた職務経歴書を出した。すぐに面談がセットされて、未経験の分野ではあったが選考をパスした。


結果、出張はなくなり、完全なデスクワークとなった。取引先との電話やメールもなくなった。異動先のチームはみんな優秀で刺激的だったが、特にドラマはなく砂漠のような毎日が始まった。異動と時を同じくして、娘のイヤイヤも始まった。半年が経過して、僕は力尽きた。


今となっては、どっちが正しかったか分からない。しかし、少なくとも、異動せずにあのままいても未来を感じられなかったことは確かだ。そしてあのときの判断を肯定する以外に道はない。過去は変えられない。