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駄文

まだまだ、これからもうひと花咲かせようとしたところだった。自分が特別デキる人間だとは思わなかった。分かっていた。でもデキる人間でありたかった。


この蹉跌が苦しく、辛い。人並みに子供を育てることもままならず、会社員としての未来も失ってしまった気がする。


年を経るごとにやり直しがきかなくなってくる。やり直すための年数も限られてくるし、その気力も湧かなくなってくる。残念ながら、もう無理だ。


先週に奥さんと向かった外来診療で病院の担当医から、しばらくの間は育児から離れて休養するように指示が出た。役立たずの戦力外通告。


この連休中は、奥さんは娘を連れて昼前から外に出て夕方頃に帰ってくる。僕は1日の半分をベッドで眠って過ごしている。食事は1日に1回、昼食を摂りながら軽くインターネットと、そのあと自転車部屋でAmazon Prime Videoから昔のドラマを適当に流しながら30分程度ローラーを回して、風呂にも入らずにベッドに戻り、朝まで寝る。立派な引きこもり。


自転車もドクターストップになってしまったけど、また誰もいない真夜中の新砂に行きたい。夜明けが来るほんの少し前の薄暗い荒川で、無心になってペダルを踏みたい。



と、ポエムを書いてみたが、気持ちが暗くなるばかりだ。今、この世界で誰からも関心を持たれない。ひとりぼっち。こうなると逆に楽しむしかないわけだが、どうしても明るい言葉を綴れない。今は仕方ないか。


蹉跌、悔恨、寂寞。ブログを書くためにググったわけでも、元受験マシーンだからでもなく、幼少の頃に自分の書斎の如く、または、あたかも図書館かのように通った本屋。そこでの立ち読みで覚えた言葉たちだ。


自宅にあった『恍惚の人』と『人間の条件』は小2で読んだ。漢字は『キン肉マン』である程度は学んでいたし、実際なんとなく読めていた。


自尊心が強いからなのだろう。生きづらい性格だと思う。楽しい気分になりたいが、来週の心療内科でもし何か薬を処方されてしまったら、それこそおしまいというか、烙印を押される、自分の中の何かが壊れる気がしてならない。


やっぱり、会社員として仕事をわしわしとこなすのが自分のアイデンティティーだったんだなぁ。入院中、医師も看護士もみんな「今は休むときです」と口を揃えて言った。奥さんごめんよ。


ショップにBONTのシューズを受け取りに行く、本当はめちゃくちゃ楽しいはずなのに、憂鬱でならない。受け取るだけでなく、オーブン(?)を使った熱成形の工程があるから、すぐには帰れない。店長と会話をするのが少し憂鬱だ。


荒川をガシガシ走るために買ったHELIX。それなのに、活躍の場がローラー台。そのローラー台も新しく4本ローラーがやってくる。早く新しいPC来ないかな。すべてを忘れてクランクを回したい。それが気持ちが明るくなって奥さんも娘も楽しくなる要件。