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わたし、定時で帰ります。

世間では改元に伴い10連休だったようだが、こっちの世界では10連休どころか、入院から数えたら連休22日目である。パッと見は極楽だが、改元的なめでたさは一切なく、生ける屍となっている。職場復帰の目処は依然、立っていない。それがまたキツい。


言い過ぎた。屍ではない。出前で寿司を2人前取ってみたり(奥さんに情報開示ずみ)、簿記2級のテキストを衝動買いして、暇つぶしに読んだり解いたりしている。1級を買わないあたりが小市民的だが、2級より冊数が多いし、2級学習時はブラック企業を脱出するためにあえいでいた頃だったので、その頃のことを思い出したくなったのもある。あの頃はとにかく底辺から抜け出したくて必死だったはず。その気持ちを追体験したかった。


だけど思い出せたのは孤独なTAC自習室でのBGMが上原ひろみだったことくらいである。ちょうどスパイラルをリリースした頃だったか、タワレコでリコメンドされていたのをジャケ買いしたのだった。そのくらいだった。


2回目の挑戦で2級に合格したあと、当たり前のように1級の学習を開始して当たり前のように挫折。数年後に再挑戦したものの、結婚を理由に受験しなかった(答練も散々だった)。そんな1級の蹉跌も思い出してしまった。その頃のBGMはアンダーワールドだった。その後ロンドンオリンピックがあって、嫌だな、と思った。


アンダーワールドは独身時代、ひとりでよく出掛けた深夜ドライブでも聴いていた。どこかサイケデリックで、思えばあの深夜ドライブが自分にとって心身のバランスを取る手段のひとつだったのかもしれない。


結婚から数年後、都心から郊外に居を移す際に車を買ったけど、奥さんと深夜ドライブするでもなく、バランスを取るための手段のひとつにはならなかった。子供が生まれてからは溶剤の関係でプラモデルもやめた。そして今、ロードバイクを失った(屋外禁止)。


会社の数人と、奥さんとしか会話しない日が続いてつまらなかったのはある。娘がイヤイヤしてこっちもイライラした。仕事もどんどん難しくなった。


毎週末の深夜から早朝にかけて、河川敷を走った。必死になって走った。自分の能力が低いと認めたくなくて、やけくそになってペダルを踏んだ。走行距離が2月は350km、3月は400kmにのぼった(これは例えば土日が月に8回あったとして、そのうち6回走ると1回あたり3時間60km超、朝3時半から6時半、ときにはドリンクがボトルの中で凍り始めていたり、別の日には走行中に小雪が舞った日もあった)。


逆に4月は週末に雨が続いたりしてほとんど全く走れなかった。一度だけ、4月7日(日)の夜22時過ぎに無理やり24km走ったくらい。時間にすればわずか1時間ちょっとだ。帰宅してすぐに日付が変わって月曜日になった。その次の週に入院中した。


ムキになって夜明け前に走っていたけど、もし走っていなかったらもっと早くに入院して『楽』になったのだろうか。そう考えたら楽しかったサイクリングがとても無意味な、無駄に遠回りしてしまったように思えて、つらい。


そんなことはない、サイクリング自体はとても楽しかった。誰もいない真夜中の河川敷を走る無理やり感。氷点下の中を走る「いい年して普通じゃないことをやってる感」。


ああ、やっぱり『クスリ』だったんだなぁ。


みんなが、二百万年の歴史を持つ人間が、表面的には普通にやっていること・できていることが、自分にはできない敗北感。TBSで放送中の『わたし、定時で帰ります。』を見たら、面白い反面、チクッと痛みも感じる。主人公や産休から復帰した主人公の先輩と違って、異動したてで戦力外なくせに、保育園のお迎えで定時ダッシュして、熱を出されれば早退&休暇を取得。迷惑をかけっぱなしだった。


吐き気がする。