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断絶

癌と闘う写真家の幡野広志さん

知ったのは去年の3月くらいだったと思う。


人より早く確実に迫る死を前に紡ぐ言葉がやはりとても繊細で、noteにアップされる記事を折につけ読んでいる。

こんな人が亡くなっていってしまうのは切歯扼腕、残念で仕方がない。

*7月上旬の時点では、まだご存命のことと思われる。


自分が緊急搬送されて入院し、休職を迫られ、さらにはもう自転車には乗れないかもしれないとなったとき、人生にうんざりした。

癌に身体を侵されたのでも、死ぬわけでもないのに人生にうんざりした。

これは個々人の主観の問題であり、幡野さんら目の前の死に向き合っている方々に失礼という気持ちもなく、いつも以上の虚無感と希死念慮が呼吸のたびに肺に溜まっていく感覚。


"病気になってから人間関係が一変した。一変したというか、一変させた。健康なときに付き合っていた人たちとは会わないほうがいい、残念だけどそう判断せざるをえない状況にぼくはなった。"


幡野さんのおっしゃるとおり。

医師や看護師の安易な励ましとか、そこまでの関係でもない人間からの面会とか、見舞いの電話とか、全てにうんざりしていた。

そして大学の同期の一部の、思慮の浅い奴らには二度と会わんと決めた。


健康な人間と、そうでない人間との間には深い断絶が横たわる。

自分も春までは向こう側の人間だった。

一度でもこちら側に立たなければ決して、理解し合えない。


そういった意味では思いがけずこちら側に立てたのは僥倖。

そう思うしかない。


レーパン買おう。