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生き辛さについて

大学の同期に筑駒の出身者がいる。高い教養と明晰な頭脳の彼が、仲の悪かった僕を評した言葉が「鋭い洞察力の持ち主」。


誰もが口を揃えて「考え方が幼稚で、性格に酷く問題がある」と、そのように言われていた彼が、詳しい文言は覚えていないがサークル冊子の他己紹介欄で僕をそう書いた。


何かあるととかく僕に突っかかってくる彼だったから、意外だった。

だけどデタラメでなければ、僕自身が全く気付いていない面をそのように書いてきたということは、彼には非常に高い洞察力があったということだろう。

僕が何か、彼の隠し持つ劣等感や琴線に?触れるような気がしていたから敵視していたのだろうか。


今思うと彼はずっと、ずっと生き辛さを感じていたのかもしれない。

就職活動では金融機関や大手マスコミを中心に、筆記試験はいつも圧倒的な成績で突破するらしいのだが、面接でそんな筆記の話を聞き出せてはいるのに結局、彼は僕同様に就職はうまくいかず、中小零細のブラック企業へ。

卒業後何年かは何人かで時々会って食事をしていたがそのうちに疎遠となった。


卒業後も「会社の人間がみんなバカに見えて仕方がない」という主旨のことを言っていて、僕も彼の話を聞く限りでは、精神論が蔓延るブラック企業では彼の能力を活かせる環境ではとてもないと思っていたし、優秀なはずの彼を活かせないこと、それは日本の損失だとさえ言う奴もいた。


そういえば入学当時、東大を滑ったことについて「受験勉強がバカバカしくなった」と言っていた。燃え尽きたわけではなく、そこまで打ち込めなかった、頑張れなかった、目的や理由を持てなかったというようなことを言っていた。


目に入るものすべてをバカにして見下す彼の態度はいつも非常に不愉快だったが、頭が良すぎてすべてがバカバカしかったのだろう。

いや、もはや凡人の推し量れるものでもない。彼は天才か、バカバカしくなって色々と放棄してしまった時点で天才になりきれなかった非凡な才能の持ち主だったのだ。

大学を中退しなかったのは彼なりの何か挟持のようなものがあったのか、それとも何も考えていなかった、考えることに特段の価値を見い出せ(さ)なかっただけなのか。


翻って「自分が彼だったら世の中に迎合できたのか」と考えると、自信がない。

現に心療内科のリワークプログラムについて、症状の軽かった僕は常にイライラしていた。

毎回、金を払って中学生のホームルーム活動のような、幼稚なお花畑に通うことにうんざりしていた。


きっと、彼にとって社会とはそういうものだったのかもしれない。


転職先の上司が大変有能な方だったそうで、尊敬できる人に出会えたのであれば、それは彼にとって幸運だろう。

敬意は感じられたものの、尊敬しているかどうかは彼の言葉からは分からないままに縁が切れてしまったが。


実は大学在学中に一度、筑駒を訪問したことがある。

生徒数がとても少なくて、中高一貫6学年いるのに、ちょっとした大部屋に全校生徒が収まってしまって、運動部だろうか、蛍光色のウェアを着た派手目な子も何人もいたし、噂に聞いていた「開成を超える国内最強の進学校」のわりに、ガリ勉メガネが並ぶイメージは一蹴された(開成がメガネっ子ばかりかどうかは知らない)。


そこで振り返ってみると、大学の個性的な仲間たちはきっとみんな同じように、生き辛さを感じていたのかもしれないな。

僕はというと、入学後しばらくは万能感に満ち溢れ、生き辛さよりはその万能感によって増長して世間を知らないままに就職活動を失敗、そこからのキャッチアップと、それ以上に運の良さで今に至っている。

人生なんてどんなに努力を積み重ねていたって、所詮は運次第。

少ないチャンスを増やす、掴みやすくするのはもちろん日頃の努力の賜物だけれども、ほとんどは運。


それならば、また調子が上向いてくることもあるのだろう。

今現在は漠然とそう思って生きていく他に、僕も彼も術はない。